ほぼ同じルートを移動する遊牧民は、身近にある素材を工夫しながらキリムを織り継いできました。
常に創造力を磨き続けている織り手には、バザールで出合った見たこともない素材やデザインは、自身を新しい世界に導いてくれる神様と同じほど大事な物でした。
工夫を楽しむ豊かな感性は、自分だけの作品を生み出していきました。
チェックは日ごろ目にする当たり前の布ですが、100年以上前の織り手は、手探りでチェックを織っています。
問屋さんの先祖のこのチェックはイブラヒム織りと呼ばれています。
シャリ間のある古布は、今が旬の美しさです。
自然が育てた織り手の感性や創造性が伝わるキリムです。
展開される見事な感性の世界と、部族の一員としての現実の世界が一つのクッションの中に見えます。
持ち合わせたアーティスティックなセンスを前面に押し出す事より、伝統を重んじるという姿勢が垣間見えるキリムは、個人の才能より大事なのは先祖からの伝統であるというを物語っています。
横縞柄を伝統的に織り継いできたのがコンヤ、トルクメン族です。
幾何学文様でない縞文様は、見る者の目をそらせる要素に乏しく、うまい下手が一目でわかる、難しい織物です。織り手達は、先祖以上のキリムを作るべく、細く強く丈夫な織物作りに心を砕き続けた結果、滑らかでしなやかで薄い、一目でトルクメンと判るキリムを織り継いできました。
そのような伝統に、織り手の創造性が加わったキリムの表情は、とても豊かです。
トートバッグ作りが慣れてきますと、スタッフは自発的に工夫を始めました。バッグインバッグになるこのように小さなサイズでも、キリムを生かすことが変わらないテーマです。
機能的なバッグでありながら、床に置く絵のごとく、バッグに描かれた絵をイメージしたバッグです。
「最後まで使い切る」が、キリム本来の姿です。
オリジナルクッションを作り始めますと、キリムの小さな切れ端が出始めました。
「生かす」を合言葉に、トートバッグやコースターなどが小物作りが好きなスタッフの手から生まれました。その中での傑作がこのバッグです。
高い技術を持つスタッフのキリムの扱い方に驚き、「生かす」ことの素晴らしさを教わった次第です。
ポカポカ陽気につられ、お雛様を飾りました。
水仙とクロッカスの花はギャラリーの庭から、冬でも様々な花が目を楽しませてくれる日本です。
例年使う緋毛氈(ひもうせん)に変わり、今年はアンティークキリムを敷いてみました。アンティーク額とキリムに囲まれた古いお雛様、先輩たちの存在感に、まだまだ頑張れるわ!と言っているように幸せそうです。
先日、アップしたもう一枚は、あっという間にご縁があり、お客様のお手元で大事にされています。100年以上たったコットンが、アダナには珍しいコチニール系の赤色と他色を引き立て、落ち着いた華やかさを見せています。
100年以上前のシバスです。
上質のウールは透明感のある色に染まり、赤紫色はきっと織られて以来いつの時も、輝いでいたはずです。自然が豊かだった100年前に触れ、感じられる幸せをつないでくれる織り手に感謝です。
春がすぐそこです。キリムも柔らかな日差しを浴び、光の加減で様々な表情を見せています。
シャルキョイのパステルになった若草色は、長い時間と光と織り手の技術が作り出したものです。大きかったキリムのほんの一部ですが、完成されたデザインがキリムの奥の深さを見せています。
お隣は、コンヤ、トルクメンのグラデーションが美しいキリムです。
幾何学文様を持たなかったトルクメンの女性たちは、天然の羊の毛のグラデーションで、気持ちや風景を表現してきました。見事な色分けです。
キリム大好きの私たちには、その布をいかに生かすかが大きなテーマです。
トートバッグにキリム+ボタンを組み合わせたスタッフは、「どちらも生き生きしていませんか?」と胸を張りました。小さなシミのあるキリムをカットするのが嫌で、考えに考えた結果の作品です。
久しぶりのアダナジジムです。宝物を見つけた気分です。愛らしい幸せの結びと見事な仕事です。
1997年に出合いましたが、沢山キリムを見てきた私たちでも、出所の特定が未だできません。
織り手が伝統を踏まえながらも、自由な発想で織ったキリムを見ていますと、交流のない織り手達ですが、「極める」を目指すとき、その方向は偶然にも似ているように思えます。
どのように思われますか?
1800年代のインドより西からヨーロッパの各国は、シルクロードを始め様々な陸路を通じ、交易を盛んに行っていたようです。古い織物が、如実にそれを語っています。
沢山の色糸が遊ぶ万華鏡のような世界を御覧ください。
熟練した織り手の作品ですが、面白い表情のジジムです。
中心の色調と織りは、織り手本来の技術とセンスです。
ボーダーを囲む色使いは、まだ小さな孫娘を感じながらの色調でしょう。エレガントな色調を取り囲む白いコットンは、傷んでもほつれない様にの思いを込め、キクラゲ状態です。
美しさやバランスよりいつまでも使える丈夫さを取った織り手です。自身の技術より大事な孫娘へのプレゼントは、見る者に暖かさを運んでいます。
先祖伝来の柄を織り継いできた織り手達です。
先祖のしっとりしたジジム織りを前に、子孫の織り手は、自分らしさへ挑戦しました。真っ白なコットンは若々しく、きれいです。
それぞれに良さがある織物ですが、皆さまはどちらがお好みですか?
先祖伝来の柄を織り継いでいるとは言え、型紙を使わないキリムを織るには、一定以上の創造性と想像力が必要とされます。
水と光に恵まれ、自然に鍛え抜かれた織り手の感性が、このような色彩感覚を育てました。若い織り手は彼女の感覚に沿ったキリム作りを楽しそうにしています。
織り手の創造性はこれから、どのような世界を展開するのだろう?と見る者の想像力を掻き立てるキリムです。
40年位前に織られたヤストク(枕)です。
移動に不便な物を持たない遊牧民は、実に合理的な精神に富んだ人々です。
一つの細長い袋を、枕、クッション、穀物や小物入れとして使ってきました。
袋と言えど、遊牧民の感性を通ると、どれも素晴らしい織物になります。現代では、タペストリー、テーブルランナー、 玄関、ベッドの足元など、益々用途を広げる優れものです。
1990年、キリム買い付けを終えた後、入った骨董品屋さんのショーケースの中で、チラリと紫色を見せていた古布です。見せたくない主人が、下の方に置いていた気持ちは、この布をみて分りました。
精緻な仕事が、気持ち良くさせてくれます。100年以上も前のものだからこその見事さです。
1990年のイスタンブールは元気でした。
13時間のフライトなんて何のその、トルコ行きが待ち遠しく、皆、せっせと働き勉強しました。
キリムとの出合は勿論、骨董屋さん巡りも私たちの目的の一つでした。見たこともない数々の品物、不思議な色彩の古布、まるで、キリムの織り手達が過ごした時代にタイムスリップしているような、宝物探しの場で出合った古布です。
「フーン」と思う面白い色彩が、これが織られた時代に誘ってくれます。
2003年に手に入れたムットの新作キリムは、14年経っても当時のままの新品です。織り込まれているデザインは、先祖伝来の部族の柄です。
アメリカのナバホ族に似た色合いと柄付けは、広げる度、世界の西と東、接点があったのかしら?と、楽しい想像をさせてくれます。
丁寧な色分けの白、ベージュと濃い茶の天然ウール、落ち着いた茜とパープルの組み合わせ、確かな織りからは、「織る事」に力を抜けない織り手の自負が伝わってきます。